「初心忘るべからず」
誰もが聞いたことがある格言です。
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初めの志や純粋な気持ちを忘れずに、
ひたむきに物事に取り組みなさい。
そんな意味で使いますね。
この言葉の本来の意味は
それとは異なり、
もっと深い意味があったのです!
ご存知でしたか?
世阿弥が50代半ばに著した
『花鏡』という本に下記の一節があります。
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是非の初心忘るべからず
時々の初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず
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「是非の初心忘るべからず」
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
「老後の初心忘るべからず」
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
それまで経験したことに対して、
自分の未熟さを受け入れながら、
その新しい事態に
挑戦していく心構え…
その姿を伝えています。
さまざまな人生のステージで、
未体験のことへ踏み込んでいくことが
求められることがあります。
世阿弥の言によれば、
「老いる」こと自体もまた、
未経験なことです。
そして、そういう時こそ
まさに「初心」に立つとき…
それは、不安や恐れではなく
人生へのチャレンジなのでは
ないでしょうか。